そうぎ社の事務員ブログ③ 祖父との最期のお別れ
- ■2020/09/03 そうぎ社の事務員ブログ③ 祖父との最期のお別れ
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そうぎ社の事務員になり、早いもので、もうすぐで1年になろうとしています。
事務員として感じた思いを書きたいと思います。
最近のご葬儀は、家族葬、1日葬、火葬式をよく耳にします。
コロナの影響で、オンライン葬儀という言葉も世の中に浸透していると思います。
葬儀の仕事に携わり、たった1年ですが、その間にも、世の中が大きく変わっているので、変化についていくのが、少し大変でもあります。
そんな中、ふと、自分が子供の頃のことを思い出します。
子供の頃、今から約30年前、祖父の葬儀に出席した時のことです。
8歳だった私ですが、鮮明に覚えています。
朝、祖父が入院している病院から電話が入りました。
私はずっと泣いていました。
祖父がガンと宣告されてから、1年間だけいっしょに住んだのですが、 たくさん思い出を作ろう!!と、家族で祖父もいっしょにたくさんのところにお出かけしました。
そんな祖父との思い出をかみしめながら、私がめそめそしている間に、 祖母や両親は、葬儀の段取りを葬儀担当者の方と相談しながら、すばやく取り決めをしていました。
中でも一番印象に残っているのは、遺影写真です。
みんなで日光に行ったとき、私が撮った祖父の写真に決まりました。
カメラで遊んでいて、
『おじいちゃん、こっちむいて。』と祖父をアップに撮った写真が、良い表情をしている!!
ということで決まりました。
子供ながら、最後に、祖父の役に立てた気がして、少し、気持ちが楽になったことを覚えています。
学校を3日間お休みして、その間に、お通夜と告別式を行いました。
私の家が実家だったため、親族がたくさん来ました。 父は8人兄弟だったため、親族だけで、30人以上いました。
そして、ご近所の方や、友人、たくさんの方が、最後のお別れに来てくださいました。
受付やお食事の席は、ご近所の皆様が、お手伝いをしてくださいました。
葬儀場には、叔父が泊まり、お線香を絶やしてはいけないと、朝まで、お線香をあげてくれました。
祖父の死は、とても悲しい出来事でしたが、最期のお別れは、心残りなくできたと思っています。
生きていればたくさんのことがあり、 時代と共に、変わりゆくことは、決して悪い事ではありません。
いろいろな事情があり、さまざまなお別れの仕方があると思います。
でも、どんな形でも最期のお別れを後悔のないようにすることは、 故人への感謝と共に、 大切な人を亡くした人の心を少し和らげることにもつながると思います。
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大切な人を思う気持ちを心を込めて形にします。
さいたまそうぎ社連盟
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